はるの思考回路

こんにちは!はるです!主に自分の悩みとそれに対する考えを発信していこうと思ってます!!

誕生日は自分のためじゃなく、周りに感謝する日。

こんにちは、はるです。

 

明日投稿できないので、本日は2本目の投稿でございます。

私事ですが、明日3月11日は私の誕生日です。そして3.11東日本大震災が起きた日でもあります。地震が起きたのはちょうど10年前になります。そのころは私は小学生でした。

記憶に残っているのはその日は地域のゴミ拾いをしていて終わったから学校に戻り、4階の教室にいたら突然揺れだして、机の下に隠れたこと。そして地震の揺れで若干酔ったこと。収まってから校庭に集まりその後家に帰ったこと。そしたら、地震によって電気がつかなくて電池式のスタンドライトをつけ、誕生日だったけどお湯を沸かしてカップラーメンを食べたこと。ケーキ確か食べれなかった気がします。と、やっぱり記憶に残ってます。小学生だったけどあの揺れはとても大きな衝撃を受けていたんだと思います。あれから10年経ちますが、今でもこうやって覚えています。

 

震災から10年です。思い返すといつの間にか10年経ってるという感じ。小学生が大学生になってもはや社会人になるんです。たくさんの時間を過ごしているはずなのに、どうしてか早いものだなと思ってしまいますね。だけどそれは、あまり被害がなかったからそう言えるのかもしれないです。大きな被害があった地域では今も復興作業しているところもあるし、大事なものがなくなってしまったりしている人がたくさんいる、もし自分がそうだったら10年は違う感覚で感じるんだろうと思います。

 

3.11が自分の誕生日なために、毎年同じように小学生だった時を思い出すし誕生日だけどその日のニュースは絶対にあれから何年目という特集が放送され、嬉しい日なはずなのに悲しい日のようにも感じてなんとも言えない誕生日を毎回送ってます。

 

でも、あの地震でもこの10年間でも、生きてて生活してて(生活させてもらってて)、この期間にいろんな人と出会っているということに目を向けるべきなのだろうと思います。忘れてはいけないことだろうけど、思い出して悲しくなってネガティヴになることは特に良い影響を持たないのですから、ここまでで起きたこと得たものに感謝なり、反省なりをして次に繋げていける方がより良いと思います。

 

3.11が誕生日じゃなくても誰にでも誕生日はあるし、偶然私はその日でした。毎年祝ってくれる人がいます、小学校からの友人はそれと同時にやはり地震を思い出すそうです。この前もこれを言ってました。 22年目を迎えられることが当たり前じゃないこと、誕生日は自分が祝われるべきじゃなくて21年間お世話になった人におかげさまで22年目を迎えられますということを伝える日、言えなくても思うことが大切だと今は思います。実は、10年の中でそう思ったことはなかったです。でも好きな人たちを見てるとそういう人たちが多くて、「そうか、誕生日は感謝する日なのか」と思わせられました。そして、今、それに気づけてよかったです。

 

明日は、大震災から10年目、ニュース、ラジオ、ネット、警報、いろんな場所で耳に、そして目にすることだろうと思います。あれから10年であなたは何が変わりましたか?少なくとも年齢が10歳変わってることと思いますが、他にも周りの人や環境、いろんな変化があると思います。些細なことも生きてるから起こること、気づけるわけです。だから生きてこれたことに感謝。

 

私は、誕生日は自分のためじゃなく、周りに感謝する日という風に認識が変わりました。これからもこれは変わらないように意識していきたいです。

 

なんか、タイトルは誕生日をいっているのに内容が主に地震になってしまいました。私の誕生日がその日だからしょうがない!ってことにしておいていただけると助かります。22年目、自由に向けて前進する年にします。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。明日、「3.11」とYahoo!で調べると十円の寄付を行うことができます。私も毎年やってます。是非やってみてください。